Vol.4 家庭でできる幅広い豊かな教育
アメリカ人の心臓外科医の友人は、勉強一辺倒だった人ではなく、プールで華麗に飛び込みをし、ポロ競技に娘と一緒に出場し、数か国語を話したりと多才です。また彼は高慢さがなく謙虚で、ボランティア活動もしています。Well Rounded Education(幅広い豊かな教育)を受けてきた、見本のような人です。
幅広い豊かな教育とは、学業や専門分野の教育だけでなく、文化や芸術や言語などのリベラル・アーツの教育、スポーツやヘルスなど身体的な活動、またコミュニケーション力など、社会で活かされるための教育を含む、包括的な人間教育です。
ちなみに、2015年6月8日に文部科学省から通知された、「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」の別紙の中で、「国立大学法人の第2期中期目標期間終了時における 組織及び業務全般の見直しについて」下記の内容が記載されています。
「特に、教育養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」ということです。
かいつまんで言えば、日本の今後の教育のフォーカスは、包括的に幅広い豊かな教育ではなく、社会での実践に即戦力となるような、技術や知識を学ぶ方向に向かっていることが、色濃くなっているということです。子どもが小さければ、こうした動きに対して今はまだ、深く考える親御さんはあまりいないかもしれません。将来、大学に行く時のことなど、想像しなくて当たり前です。
しかし、今後更に、功利的なことへの学びが重視される可能性が高いことは、子育て真っ只中の方でも知っておくと良いでしょう。
なぜなら将来、自分の子どもには、幸福になるための学びではなく、社会で仕事を持ち、生き延びるための学びのみに、あくせくして欲しくないと考えるのは親心ではないでしょうか。私たち親は、自分の子どもに豊かな人生を送って欲しい、そして幸せになってもらいたいのです。だから教育もします。躾もします。そして健康に生きることを毎日の生活の中で教え、他者との関わりを教え、道徳も教えるのです。一人の人間の教育は、社会の戦力となるための学びだけでは十分ではありません。では親は今いる環境という現代社会で、子どもの教育全般をどう捉えたらいいのでしょうか?
私たちが家庭でできるだけのことをしてきた、幅広い教育の全体像をカテゴライズしてみます。その全容を凝縮すると4つの柱に分けられます。「1.頭」、「2.体」、「3.心」、そして「4.社会」です。私と夫は、それらを四角錐の底辺の土台と考え、その上にピラミッドを建てるように、息子に幅広い豊かな人間教育を与える努力をしました。尚、これら4つのエレメンツを指針にしますと、子どもへの教育の方向性が明確になり、迷うことが少なくなると考えます。

例えば(自然の中でのびのびと遊ばせる)対(幼児期からしっかりと家庭学習させる)というような、二極の選択があるとします。往々にして、どちらか一方を選ばなければいけないと思いがちですが、4つの柱を思い返しますと、とちらか一つではなく、どちらも必要なことが見えてくるはずです。
私は息子が生まれてから、「幸せに生き延びて欲しい」、そして将来「社会で活かされる人間となって欲しい」と強く思いました。母親の本能とも言えるこのような思いは、頭で理解するというよりは、親の心の内から自然と湧き出てくるものではないでしょうか。同時に混沌とした社会でサバイバルするためにも、多くの親御さん同様に私も、自分の子どもには社会で適応できる教育も必要だと考えました。
さて、高額な私立に通わせることができれば、幅広い豊かな教育を受けるチャンスは高まると、多くの人はそう思われていることでしょう。自分でやり方を知らなければ、お金を払って専門家に頼んでしまえば簡単です。お金のある人はそれができます。しかしもし、自分でやり方を学ぶことができたならどうでしょうか。他人の専門家に自分の子どもを託すよりも、もっと多くのことを子どもに教えてあげられるかもしれません。親の強い思いを持ってすれば、誰しもが家庭で自分の手で、幅広い豊かな教育を子どもに与えてあげられます。家庭での日々の生活にこそ、宝のような学びが隠されているのです。
家庭でできる幅広い豊かな教育

トップの絵は、私が考える包括的な幅広い豊かな教育のイメージです。主には上記で説明しました、ピラミッドの「1.頭」の部分の詳細となります。このイメージを見ていただきますと、学校での勉強はあなたのお子さんが学ぶことの、ほんの一部であることがお分かりいただけると思います。
脳科学的な意味ではなく、環境的な要因を考えますと、就学前の6歳までは家庭での教育がまず第一です。その最も大きな理由は義務教育は6歳から始まり、それ以降はどの家庭の子でも、物理的に学校で過ごす時間が大幅に増えるからです。もちろん6歳以降になっても、家庭教育は継続して必要ですが、現実的にはお友達との関係が生じてきたり、子どもの目や耳に入る、家庭以外からくる情報も増えてきます。よって年齢がいくほど、意識は徐々に外に向かって行く段階に入っていきます。
我が家のケースでは、ストイックに家庭教育ができたのは学校教育が始まる前で、それ以降は冬休み、春休み、夏休みに家庭で多くのことを教えることに、時間が取れた時でした。ただし共働きでしたので、キンダーガーデンに行き始める前から、ナーサリーやプリ・スクールに行っていたため、厳密に言えば義務教育が始まる前から、完全に家庭でどっぷりと、子どもだけと密な時間を過ごしてはいませんでした。ただ、義務教育が始まる前は、やはり時間的にも緩く、学校からの宿題がなかったので、家庭で十分に親子で学ぶ時間がありました。その頃、工作、読み聞かせ、料理、運動、博物館、公園、コンサート、キャンプ、森林の散歩、家事の手伝いなどなど、毎日多くのことをしていた記憶があります。
6歳以降から通う学校では、「学校教育の枠内の学問」を教えてもらうことになりますが、学校の勉強以外のことは、当然家庭で教えることになります。上記のイメージを見てください。我が家では広範囲に渡る学問の基礎を、家庭で教えていました。その多くは、読み聞かせで教えることができます。幅広い豊かな教育を考えますと、学校で学ぶことはほんの一部だとしても、他人である学校の先生が、特に公立の学校であれば無料で、自分の子どもに勉強を教えてくれるのですから、国や学校には感謝をしたいものです。
学校や先生と敵対したり、ネガティブな関係になるのは、子どものためを考えると得策ではありません。それよりも、学校の先生たちの大変さを心で労わるくらいの気持ちでいれば、子どもにとって良い環境作りをしてあげられることと思います。「4.社会」(社会的知性やコミュニケーション)の学びは、人間として社会で生きていく上で、避けて通れるものではありません。それを教えるのは親の在り方です。そうした親の在り方は、心から滲みでてきてしまいます。
例えば、自分の子どもはいじめたりいじめられたりしたくないと思ったなら、親自身が意地悪で人の悪口を言わないこと、親自身が卑屈にならないことです。子どもに差別をして欲しくないと思ったなら、自分自身が人を見下して見ないことです。同様に子どもに教えてくれる先生たちに、親自身が「感謝」の気持ちを心から持たない限り、言葉だけで繕っても子どもには伝わってしまうものです。※3.心(やさしさや逞しさ、または精神性)
では、具体的に私たち母親が準備できることは、例えば子どもが学校で教わることをスポンジのように、スイスイと吸収できる基礎を作ってあげることです。これは先生の仕事を楽にしてあげることになります。しかし、学校に行くまでの準備とは、決してひらがなを書いたり、足し算引き算をできるようにすることではありません。ちなみに、我が家ではそうしたことは、皆無と言っていいほどしていませんでした。その代わり、もっと複雑なことを読み聞かせし、外で体を使ってガンガン遊ばせていました。いずれすぐに、自動的に覚えることに時間を割き、先取り教育をしておくよりも、その時間たくさん遊ばせて、体を使うことで脳神経を繋げておく方が、将来、他者から教育を受ける時に、よっぽど効果的だと考えていました。※2.体(健康や脳と直結している五感の発達)
何年か前の統計ですが、日本人の識字能力は100%でした。読み書きなどは学校に行き始めたら、ほぼ100%誰でも覚えます。それこそ、毎年さまざま学び方をする子どもたちに、同じことを何年も教えている先生は、そうした学習を教える専門家です。子どもの頭が柔らかいうちに、もっと広い意味での学びを家庭で与えて欲しいものです。 一般的に考えられているお勉強の代わりに、とても複雑で難解だと思える、様々な物事のコンセプトを、子供がまだ小さい頃から、自然に教えておいてあげられるのが、家庭での教育の醍醐味です。
例えば元素周期表。もし小さい頃に、元素のコンセプトを親から常々教わっていたら、元素記号を覚えることに、きっと自分の中で意味付けがされ、その勉強はただ記憶するだけの、つまらない詰め込み教育とはならないはずです。
子どもでも分かる例として、水を挙げて簡単に説明してみます。お水を飲んでいる時などに、
「水素(H)と酸素(O)がくっついて水になるんだって。でもくっついている水素と酸素を離して分解することはできても、離された水素と酸素をまたくっつけて、水を作ることはできないんだって。じゃあ、もともとはお水というのは、どうやって作られたのかしらね?お水は空から降ってくる雨と、あとはどこから持ってこれるかしら?水素と酸素というのは、元素って呼ばれているもので、元素は他にもたくさんあるのよ。(と、お財布からコインを出して)これも元素でできているのよ・・・」
なんていうことを話しながら、元素周期表さりげなく見せるなど。こうしたお話を子どもが解る解らない関係なく、日常生活の中でお母さん、もしくはお父さんが常にペラペラペラペラお話ししてあげます。
天才と呼ばれる人たちは、男親に育てられたとよく言います。往々にして、男の人は女性のように子どもを子ども扱いしません。彼らは大人と同じように分かるものだと思ってお話しします。それがポジティブに作用するのでしょう。ちなみに、我が家では足し算引き算やひらがなを教える代わりに、子どもがとても小さい頃から、親はいつも喋りまくっていました。もちろん分からないことだらけなので、私たちも色々調べ物をし勉強し続けました。一方的に教え込むだけでなく、一緒に考え一緒に体感するのです。また、お話のトピックは科学に関することだけではありません。
トップの絵のピンクの部分をご覧ください。考え付くありとあらゆることが、子どもにお話するトピックとなります。しかし詳細を教えたり、覚えさせる必要は全くないのです。コンセプトを教えてあげ、(世の中には知らないことがたくさんある」そして(学ぶことは楽しい)ということを教えてあげるだけで十分です。
さて、このような高度な教育を子どもに与えることの中心にあるのは、あなたの愛です。親のエゴではなくて親の愛です。それに関しては、どの親でも常に自問自答して確認する必要があるでしょう。
(今、子どもにこれを教えているのは、心配や不安からくる、自分自身のエゴではないか?)と、常に内観をし続けるのです。どんなに子ども思いの親でも、そうしたエゴが無い人はいないはずです。エゴはあって当然です。でも、それを認識し改めるのは、子どもの成長を願う親として、自分自身が成長する上でやるべきことでもあると考えます。
あなたの愛とは、あなたの子どものみに注意を注ぐものではなく、あなた自身が自分の内にある、意識や自覚や気付きと繋がり、子育てという一人の人間を育てている、親としての役割を果たしているという実感です。常にその気持ちでいるのは、完璧ではない私たち人間には無理ですが、親のエゴで子どもに接していると感じた時に、ふと立ち返る場所として、あなたの思い通りにさせるための教育ではなく、子どもの幸せのための教育をしていると、愛が中心にあることを思い出してください。
幼少時から幅広い豊かな教育の基礎を与えることについて、
① 小さいお子さんをお持ちのお友達に、「なぜ、そのような教育をするのか」と聞かれた場合、あなたがされようとしていることを正しく理解してもらえるために、一体どのように説明したらよいと考えますか?もしくは、
② 幼少時から読み聞かせをする必要などないと、もしご主人から言われた場合、どのように説明すれば理解を得られると考えますか?