Vol.2 基本は親子の会話です
私の夫ロバート・ランディーは若い頃、アメリカの富裕層の子どもが通う、聖アルバンズという全寮制の男子校で、教鞭をとっていました。その高額な私立校には、医者や弁護士の子どもだけでなく、ホテル王や有名な食品会社や薬品会社の子どもたちが、多く在学していたそうです。
私はその学校に通う子どもたちが、公立に通う一般の家庭の子どもたちと一体どう違うのか、夫に聞いてみました。すると彼はこう言いました。
では、お金持ちで知識人の親とは一体どんな人たちなのか?私が現代美術のギャラリーを経営していた時、また息子を育てている時に、出会った人たちを見る限りでは、そうした親たちは、自分の専門分野のことや、やっている仕事以外のことは、あまり興味がなく知見のない人たちではありませんでした。それよりも、例えば楽器を弾き、芸術や文化や歴史に詳しく、世界情勢や政治にも興味を持ち、また健康にも留意している、(どうしたらそんな時間を創出できるのだろう?)と不思議に思うくらい、エネルギーに溢れた人たちでした。
私の知る、包括的に豊かな教育を受けてきた人たちは、決して鼻持ちならない、不遜でプライドの高い人たちではなく、むしろ品があり他者に優しく、社会に貢献している人たちでした。彼らは、子どもの教育に多大なエネルギーとお金をかけ、家庭できちんとした躾をし、文化を継承しています。
自分と比べてしまうと、(私はそんな人たちみたいに、自分の子どもには同じことは与えてあげられない)、(自分とは住む世界が違うんだわ)と、何もする前からしぼんでしまって、諦めてしまうかもしれません。私も夫も然り、息子を育てていた時は多くの人たち同様、子どもの教育に決してお金をかけられる状況ではありませんでした。しかし、このように考え実行したことがあります。それは「お金や特別な知識がなくても、誰にでも手が届く効果的な教育方法があるはず!」ということです。
息子が13歳になった頃、被験者としてはたった一人なため、科学的に証明できるものではありませんでしたが、お金をかけなくても非常に効果があったと思われる、私たちがしてきた教育方法を、多くの人たちにもシェアしたいと考えました。そして、2005年よりチルドレン大学で、そうした教育方法とマインドの在り方をお伝えしてきました。
チルドレン大学を始めた頃、私たちはたった一人分(息子)の結果しか知りませんでした。しかし、チルドレン大学で学ばれたお母さんたちが、チル大で学んだやり方、またはそれを元にもっと創造的な、独自のやり方も取り混ぜて、育てられてきた子どもたちがいます。そうした毎日の小さなことをやってこられた多くのお母さんたちから、彼女たちの子どもたちは、親がやりなさいと言わなくても、学ぶことが好きになり、また自らの夢を持って、積極的に学び続けていると聞いています。
私はこれからお伝えするやり方を、あなたにも家庭での日常生活の中で、習慣として取り入れていただきたいと考えています。その理由は、チルドレン大学で提唱している教育方法は、子どもが賢くなるために効果があり、また、結果がでると信じているからだけではありません。
それよりも、家庭での親子の学びを通じて、子どもとの絆がしっかりと結ばれ、子どもの将来にとって、心と体がたくましく成長する上で欠かせない、親の愛情を深く伝えることができると考えているからです。それは、親が子どもに与えてあげられる最大のギフトです!そして、そのギフトはお金がなくても知識がなくても、何の条件が無くても、誰にでも与えてあげることができるのです。
チルドレン大学で提唱する教育方法の基本は親子の会話です
会話を派生させる方法
例えばお散歩をしている時、子どもが一枚の葉っぱを摘まんでお母さんに見せ、「これなあに?」と聞いたとしましょう。そのような時が学びの大きなチャンスです。その時、お母さんは平坦に物事を捉えずに、一枚の葉っぱから大きく視野を広げてみましょう。もしお母さんが、たった一枚の葉っぱを見るだけで、子どもと同じような知的好奇心を持つことができたら、どんなに小さな事柄からでも、世界は大きく広がっていきます。
「これな~に?」
「葉っぱでしょ」
ありがちな会話です。こうした会話で終わらせることも、日常では避けられない場合もあるかもしれません。が、ちょっと待って!もう少し深く追求してみよう!子どもの好奇心に注意してみよう!ここから知への関心が広がるかもしれない!と、立ち止まって考えてみてください。すると下記のように、会話を広げていくことが可能になります。
「それはね、さるすべりの木の葉っぱよ。
さるすべりの木はね、上の方に葉っぱとお花が咲くけど
下の方はツルツルしているから
おサルさんでもツルって滑っちゃうのね」
という会話になったとします。そうなれば、あとは子どもの関心や興味が何にあるのか、お母さんのアンテナを立てて、様々な方向に会話を枝分かさせてみてください。
例えば「さるすべりの花」に話が展開したら、様々な色があることを教え、家に帰ったら、絵の具を使って色を混ぜ合わせて、絵を描くという展開になるかもしれません。または、「さるすべり」の字は、決して猿滑りではなく百日紅と書くことから、もし漢字に興味を持つ子なら、他にもどんな木の名前の漢字があるのか、親子で一緒に探してみることになるかもしれません。もしくは一枚の葉っぱから、葉緑素の働きについて説明することもできます。(お子さんが1歳2歳でも、教える内容は違えどもメソッド自体は全く同じです)
しかし、このようなお話をしてあげるには、お母さん自身が相当の知識、それもかなり広範囲に渡る、様々な知識を奥深く持っていないとできませんね。でも安心してください。私たちにはオンラインという便利なものがあります。ググればいいのです。もしあなたが、ネットでサクサク検索できるようになったなら、多くの情報を簡単に得ることができます。
昔は高等教育を受けられる場所に行かなければ、ある一定以上の情報を得ることができない時代もありました。しかし、今は得られる情報には、それほど格差はありません。ただし、同じ物を与えられた時に、それをどのように使うか、想像や工夫やクリエイティビティ―や好奇心という、あなたのマインドによって、生じる差は大きくでてきます。
お子さんが小さい場合は?
お母さんが常に会話をクリエイトして、話しかけをすることは難しいことと思います。でも、目に見えるものや、やっていることを実況中継するように説明する、ということでしたら簡単にできると思いませんか?
例えば:
「今、お母さんが持っているのはお鍋って言って、このサイズだと肉じゃがを作るには小さ過ぎるけど、これから作るのはそうめんの汁だから、小さいお鍋でちょうどいいのよ。」などなど。
おしゃべりなお母さんは自然にしているかもしれません。こんなところにおしゃべりであることのベネフィットがあったなんて!でも、あまり会話をしない無口なお母さんだとしたら、敢えて喋るように努力しないと、もしかしたら自然にはできないかもしれませんね。ただし、その努力は間違いなく、将来、報われる時がきますので、是非やってみてください。
具体例があってもなかなかできないという方へ
例えばもし、子どもを叱ってしまう状況になった時、大人の目から見たら、子どもが分かっていても当然だと思っていることは、実は全くそうではなかったりすることが多々あると思います。それを教えずに、分かっていて当然だと、親が気付かずに思っていると、つい、なんで分からないの?とイライラすることになります。
分からないことは根気よく、冷静に静かに教えてあげる。ただ、それだけのことで、イライラが激変するかもしれません。分からないのだから、説明して教えてあげるのが教育です。でも、分からないことに気付かず怒ってしまうのは、それは教育ではないかもしれません。
もちろん小さい子どもに説明しても、分かっているのか分かってないのか、全く見えないこともあると思います。ただ、お母さんがいつもきちんと説明し、物事の論理をちゃんと教えてあげることを、日常的にしていたらどうなるでしょう?そう教育されてきた子は、ちょっと大きくなった時に、喩え話だとか、引用だとか、複雑な語彙だとか、難しい論理だとか、ちゃんと分かるように育つと思いませんか?逆を言えば、そういうことを全くせずにいたら、自然と子どもに、そうした能力は身に付くことはない、ということです。