Vol.39 子育てのシンクロディスティニー①

 

「時代はここでストップしているワケではなく、私たち自身も時代の流れの中にいます。ということは私たちにも、今生きているこの時にできる、与えられたDutyがあるはずです」と、>前回はここでお話が終わりました。

それでは、時代の流れの中で一体、現代はどのような位置にあるのか?そして、現代の親のDuty(役割)とはなんなのか?それについてお話する前に、少しばかり過去を振り返ってみましょう。

第二次世界大戦後、兵士だった人たち、また兵士になるための教育を受けてきた人たちが、戦後の日本を築きました。戦時中、または戦後直後の社会においては、きっとユニークさやクリエイティビティーよりも、一つの目標に向かって一丸となり、与えられた職務に対し疑問を抱かずに、正確に間違いなくこなせる人間が、求められていた時代ではなかったでしょうか。そしてその後、企業戦士と呼ばれる人たちが誕生しました。私の親の時代は、その真っ只中にあったように感じます。

子どもの頃、古いやり方は“封建的”という言葉でよく表現されていました。私が小学校一年生の時の担任の先生は、年配のとても封建的な女の先生でした。ある冬の寒かった日に子どもたちは、回りを金網で囲ってあるストーブの周りに集まっていました。男の子たちはズボンのポケットに手を入れています。私はウールのチェックのミニスカートのポケットに手をつっこんでいました。その時この先生から、「女の子がそんなことしてはいけません」と叱られました。同じことをしても、男の子はよくて女の子はよくないという点に疑問を抱いたので、「なぜ男の子はよくて女の子はいけないのですか?」と先生に聞きました。その時、先生からは納得のいく説明をされた記憶はありません。そのかわり後で母は先生から、「お宅のお子さんは反抗的なので、お母さんから注意をしてください」と連絡をもらいました。

最近は昔ほど封建的という言葉は、あまり使われなくなったように感じます。きっと実際に封建的であることが問題となる事実が、社会から少なくなっているのかもしれません。アメリカなどは日本よりもその傾向が強いでしょう。その昔、男尊女卑で、白人の男性が仕事につき易かった社会から一転し、今では女性がパワーを持ち、特にリベラルな芸術やデザイン、執筆などのクリエイティブな分野では、男性(白人)よりも女性の方が、優遇されやすい社会となり、女性の方がパワーを持っていたりします。

日本でも封建的な社会は変化してきている中、教育システムそのものは、私たちが子どもの頃とさほど変化していません。今でも学校という団体生活の中では、「なぜそれをしなければいけないのか?」「なぜダメなのか?」と、疑問を抱く子どもにとっては、きっと生き辛い社会であることでしょう。与えられたカリキュラムを記憶し、テストでいい点をとり、きちんと答えられる子。そして言われた通りにできる成績のよい子たちが、往々にして学校でよくできる良い子と評価されているはずです。

そうした学校システムは、産業主義の時代では都合が良かったと考えます。しかし今は、産業主義時代の終焉を迎えているように見受けるのです。例えば巷のことで言えば、美容師さんがカリスマと呼ばれるようになっています。料理人は必殺料理人と形容されるくらい、昔と違って職業の地位が変化してきています。アメリカでは企業に就職する人たちよりも、セラピストや美容師、ウェブデザイナー、マッサージ師など、自分の好きなことで技術を身につけ、手に職を持つ人が増えて困っているという、現実的な社会問題もあるくらいです。モンテッソーリの発祥地であるイタリアなどは、アメリカや日本よりもっと進んでいます。友人の話によれば、学校教育で既に、自分が好きで得意とする道に進めるよう選択できるそうです。しかも、子どもの能力とレベルに合った学びができるモンテッソーリのシステムが、ほとんどの公立学校で多かれ少なかれ導入されているということです。

戦後、企業戦士たちが日本を再生するために頑張ってくれました。彼らは物が無かった時代を子どもの頃に体験した人たち、もしくは、親が食べられない苦労をした時代の人たちです。もちろん各家庭で差はありますが、私たちの世代からは、親自身が物がなくて苦労をする時代には生きていません。そして今の子どもたちに至っては、物が無い経験をしていないだけでなく、物が溢れすぎていて、それに対しどのように教育したらよいのか、親が頭を捻って考えなければいけないくらいです。よい例は、ゲームを持たせるか否か、携帯電話はいくらの物を与えるか、テレビはどのくらい観せてもいいか等々です。そんな環境にいる子どもたちに、昔のように「ハングリーになって、将来、豊かな生活を築くために一生懸命勉強しろ」なんて言っても、そうしたアプローチが彼らのモチベーションになるとは、到底思えないのです。今の子どもたちが、この時代を選んで生まれてきた使命は、もしかしたら昔の人たちのように、団体の中で一つの機能となって、がむしゃらに働くことではないかもしれません。

さて、教育熱心な母親にとって、今の時代ではちょっと困る問題が発生します。もしチルドレン大学を本気で実践した場合、あなたの子どもが一般的な帯の中に入る子ども、そして、学校システムに疑問を抱かずに、順応できる子どもには育たないかもしれない、という懸念があります。私たち母親は、子どもの持つ能力を最大限に伸ばしてあげたい。そして、思考力の高い子どもに育てたいと考えています。教育熱心でなくても、そう考えない親の方がきっと少ないことと思います。そこで、チルドレン大学で学んだことを 毎日の生活の中で実践しますと、今の社会では矛盾が起こります。学ぶことが大好きで、一般的なレベルよりも知性の高い子は、現状の学校システムという壁にぶち当たる可能性があります。アメリカでは平均レベルよりもかなり上の子は飛び級をしたり、若くしてカレッジに入る人は多いのですが、日本ではどうでしょうか?もし飛び級したら、お友達との関係など、複雑な問題が生じてくるかもしれませんね。それは飛び級できるアメリカでさえ問題です。要は一般的なレベルという、一定の帯の中に納まっていなければ、たとえ能力が一般的な帯のレベルよりも下回っているのではなく、帯から外れた上であっても生き難い世の中なのです。例として私たちの体験をお話しますと、息子がプリスクールの時、担任の先生から「普通の子と違うので、どう扱ったらよいのか分からない」と、校長先生の前で言われました。校長先生は「この子は言うことを聞かないのですか?」と先生に聞きました。担任の先生は「いいえ、とても礼儀正しいです。でも他の子と一緒のペースにならないのです」と言います。結局、校長先生は「それはこの子の問題ではなく、先生のあなたが何とかしなければいけないじゃないですか!」と、私と夫の目の前で担任の先生に厳しく言っていました。しかしこの先生にすれば、クラスのみんなの授業の他に、別のカリキュラムを用意しなくてはならない問題があり、先生にとっては扱い難い生徒だったのです。

その頃、私たちは公立のギフテッド(優秀という意味)の子どもたちが行く学校を調べてみました。ところがその学校には“普通の子ども”がいないのです。超頭のいい子たちが集められたクラスが数クラスと、あとは学習障害のある子が集められたクラスが数クラス。真ん中に属する普通の子どもたちがいません。つまり、学校システムの中では、優秀すぎてもハンディキャップがある場合と同じ扱いになるということです。一般的な帯に入らないということはこういうことです。

実は私自身にも同じような経験があります。小学校に入った頃、やっていることは全部分かっていました。ですから先生の説明を聞くのは常に待ち時間です。教室の中にいるということは、バス停で何もせず、ずっとバスを待っている状態が一日中続いている感じでした。それだけではなく学校では、待ち時間はきちんと坐ってなければいけないというオマケ付きです。私の中では、子どもの頃の学校とは、言われたことをその通りにやるという、規律を学ぶ施設という印象です。自分自身でそのことを今の子どもたちより一足先に経験しているため、学校のシステムからはみ出てしまう子どもがいても、全く不思議ではありません。

そうした経験があるからか、子どもに与えられた能力を引き出し、子どもが学びたいことを 個々のレベルで思いっきり学んで欲しいという気持ちを、人一倍強く抱いているのかもしれません。それを与えてあげられるのは、家庭での親の教育だと考えています。一人一人の子どもが持つ、特殊な能力を伸ばして欲しい。けれど、そういう子の多くは今のシステムからはみ出してしまいます。子どもは本来みな天才です。社会にとっても、彼らを抑圧するのではなく、彼らの芽を最大限に伸ばし、一人一人の能力を社会に還元させられるシステムになった方が、よっぽどいいはずです。産業主義でない世の中では特にそうです。

こんな話があります。ある精神科医のオフィスにお母さんと女の子が診察を受けに来ました。この子は学校で学習障害があると言われたそうです。精神科医が女の子の行動を観察するため、お母さんには部屋から出てもらいました。その部屋にはラジオから音楽が流れていました。先生が女の子を観察していると、その子は音楽に合わせて素晴らしい動きで身体を動かしています。それを見た精神科医はお母さんにこう言いました。「この子は学習障害ではありません。とにかくこの子にはダンスを習わせなさい」と。お母さんはその先生のアドバイス通りに、娘をダンス教室に連れて行きました。その娘とは、後にミュージカル『キャッツ』の振り付け師となり、ブロードウェイで大活躍したジリアン・リンです。子どもの頃、学習障害のレッテルを貼られたジリアン・リンは、振り付け師として活躍しただけでなく、舞台女優、TVディレクターとしても活躍しました。

 

あなたのお子さんは、新しい時代を選んであなたの元にやってきてくれた天才です。その能力を最大限に伸ばしてあげるよう教育することが、今の時代でできる、あなたに与えられた役割ではないでしょうか。お母さんたちはボヤボヤしていられません。これはもう、あなたとあなたの子どもだけの問題ではありません。私たちは未来の子どもたちのために、新しい時代を切り開いていかなくてはいけないのです。それには、まず、自らの子どもをしっかりと家庭で教育すること。あなたの子どもが興味を示す様々なことを、お母さんの手で教えてあげるのです。学校教育や先生に頼っても、お母さんに勝る教育機関はないのですから。尚、教育とは決して学問を教えるだけではなく、ピラミッドの底辺の4点。頭脳、体、精神、社会性を含むものです。

さて、子育てのシンクロディスティニーとは、同じディスティニー(運命)を持つ、私たち母親がシンクロ(同調)するということです。同じ気持ちを理解できる母親たちが、なるべく多く繋がることで、将来、子どもたちが生きやすい社会になるよう、私たちは人に依存し続けるのではなく、個々にできることがあるはずです。大きなことをする必要はなく、小さな選択と行動が、その数が多ければ社会を変える原動力にもなります。そのためには孤立してしまうのではなく、助け合える仲間が必要です。これは親のためだけではありません。同じ志を持った親が繋がるのは、子どものために親がめげてしまわないために、お母さんたちには理解し合い、助け合える仲間が必要です。

母親たちの繋がりがうねりとなれば、社会も自ずと変わってくるはずです。自分の子どもだけが優秀であればいいという時代ではありません。「競争」ではなく、他者を労り引き上げようとする「共生」の心が大切です。人の子どもの能力も最大限に伸ばすチャンスを与えてあげることで、社会全体が持ち上がっていきます。あなたが自分と自分の子どものことだけでなく、人とシェアすることで、最終的に自分の子どもや、あなたの子どもの子どもたちに、あなたのしてきた貢献が還元されることでしょう。正にジョン・アダムズの未来の子どもたちを思う親の心は、約230年経った現代の親にも、同様に当てはまるのではないかと考えます。

ご参考まで:⇒なぜ日本の男は苦しいのか?

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